東京地方裁判所 昭和37年(刑わ)5566号 判決
判決理由〔抄録〕
三 車両が信号機のない交差点で右折しようとする場合に前方より直進して来る車両のあるときにとるべき方法は、道路交通法三七条の定めるところである。すなわち右折車は直進車の進行を妨げてはならないが、もし右折車が既に右折しているときには、直進車が右折車に進路を譲らなければならないのである。ところで、道路交通法三七条一項を非常に固く解釈すれば、直進車の速度を少しでも落させるような形で、右折車がその前方を右折してしまうことは、同項に違反することになる。しかし、そのように固く考えるべきではない。右折車が交差点の中央で滞留するのは、著しく他車の交通の妨害になるのであるから、右折車としてはなるべく手際よく右折を終るべきであり、そのためには前方より来る直進車の前方で安全に右折し終ると判断したときは、たとえ直進車に軽くブレーキを踏ませることになるであろうと予測しうるときでも右折してよいと考えなければならない。もちろん、急速度で右折したり、直進車の列の間に割り込んで右折したり、その他直進車の運転者を驚かせるような方法で、右折してはならないことはいうまでもない。
本件現場での被告人の車と渡辺の車の動きからみると、被告人の車が安全に右折を終るためには、渡辺はごく軽く制動するか、ハンドルをやや右に切るかしなければならなかったことが認められる。この程度の行為を直進車である渡辺にさせるであろうことを予想しながら、右折した被告人の判断が、右折の方法として誤まっているとはいえない。
四 それでは、もし直進する単車の運転者が「おりからの降雨の雨滴をいとい、顔をそむけて」いた場合には、その前方を右折する車両の運転者には、注意義務が加重されるであろうか。
ここで、われわれは、交通の安全に関する相互信頼の原則を考えなければならない。われわれは、免許制度のもとにある原動機付自転車以上の車両の運転者については、少くとも自車の前方くらいは見ながら運転しているものと考えるのが普通である。もちろん、ハンドルが著しくふれたり、蛇行したり、車道右側を走ったりしている車をみれば、なんびとも酔っぱらい運転か、傍見運転かと考えて、その車の行動を注目し続けるであろう。しかし「おりからの降雨の雨滴をいとい、顔をそむけて」いる状態から判断して、約五秒の間も前方を充分に見てないで単車を運転しているものと予見することは困難である。運転者が運転中ちょっと傍見をしたり、あるいは左右の安全の確認のため横見をしなければならないとしたら、到底混雑した道路の運転はできないであろう。
もちろん、もし被告人が、右折開始後、その終了まで渡辺の車の動静を見続けていたら、事故は起らなかったか、あるいは他の形で起ったであろう。しかしながら右折する車両の運転者は、直進車の動静ばかり見続けることはできないのであって、右折中はむしろ右折後に入る道路の交通状況に注意を払わなければならないのである。いわんや、本件接触時のように、被告人の車が九〇度か、それに近いくらいになるまで右折を完了しているときには、直進車である渡辺の車の動静については注視することは不可能であるといってよい。なお、渡辺が顔をそむけているなら、注意を喚起するために警音器を使用すべきであったと考えるものもあるかも知れないが、右折を開始するときには、相互間の距離が三五米ないし五〇米もあったのであるから、かかる距離まで届くような警音を発することは、直ちに道路交通法五四条第二項に違反するとはいえないまでも、都市内では慎しむべきこととされているのである。そして右折開始後は、被告人としてはむしろ右方道路の安全を確認すべきであるから、自車の左方にある渡辺に対して警音器を使用するということも期待できないのである。
以上の考察のように、相手方が「おりからの降雨の雨滴をいとい、顔をそむけて」いることによって本件の場合、右折についての注意義務が加重されることはないのである。むろん、相手方のかかる状態によって注意義務の加重される場合もあるであろうが、本件の具体的状況では、これがないのである。
交通における相互信頼の原則は、原動機付自転車以上の車両相互間においては広く妥当するものであるが、これら車両と自転車や歩行者との間では、その適用はしぼられるのであって、当裁判所は、歩行者や自転車の操縦者が傍見をしている場合まで、本件と同じような考え方をとるものでないことはいうまでもない。
公訴事実として記載された注意義務のうち「減速徐行」する義務については、既に時速約十粁にまで減速している被告人にとってはさらに減速徐行の余地なく、検察官の主張自体無意味であり、相手方の「動静を注視する義務」については、右折開始に当って被告人はこれを履行しており、なお右折終了まで注視を続ける義務は前述のように存在しない。「状況によってはその通過を待って進行する」義務については、右折開始に際して、渡辺の通過を待って進行する必要はなかったのである。以上どの点からみても、被告人が自動車運転者として注意義務に違反したという証拠は全く存しない。